誤差については、物理学者の間でも曖昧のように思う。
日経サイエンス6月号国内ウオッチに「誤差って何?」という記事がある。
http://www.nikkei-science.com/?p=23015
twitterでの議論もある。
辞書的には「測定値の真の値からのずれ」だろう。政治学の教授に「最近は、内閣支持率などの世論調査の報道に、プラスマイナス3%の誤差などとあり、科学的になりましたね」と申し上げたら、「それはあり得ません」と反論されました。「政治に真実はありませんから(笑)」
私は物理には真実があると思っている。
しかし、多くの物理学者に誤差とは誤差棒の長さであり、測るものではなく評価するものではないだろうか?
「測定値の真の値からのずれ」が不確定性関係の理解において再登場してきたのが興味深い。私の考えでは、真値=アハロノフの意味の弱値であるが、唐突感もあるかもしれない。弱値が事後選択状態に依る、すなわち実験家の意志が介入すると言う意味で弱値は主観的(subjective)である。一方、物理量については、それがなんであるかは了解済みとしているので客観的(objective)と言って良いだろう。
弱値は言うなれば、客観的な物理量の主観的値である。
「真値」の語感として、「客観的な値」がどうしても連想されるので違和感があるのかもしれない。
アインシュタイン曰く、「何が測定可能かは理論が決める」。面白くなってきたので、ハイゼンベルグの「部分と全体」の中の一文(山崎訳で313ページ)を自説に引きつけて読むと、ある符丁を感じ取る。
「 われわれは飛行機が飛んでいるのをみれば、それが一秒後にどこにいるかを、ある程度正確に前もって計算できる。(中略) しかし、それだけではわれわれは軌道をまだ理解しているとは言えない。あらかじめパイロットと話し合い、彼からその意図する飛行についての説明をうけていたときにはじめて、われわれは本当に軌道を理解したと言えるのだ」
コメントを残す