プラトンを読む

3 10月

プラトン

定年後、プラトンを書店に置いてある順に読んでいます。面白いことに、私が「パイドン」「パイドロス」「メノン」まで読み進んでしばらくして行くと、書架に「ゴルギアス」「プタゴラス」「国家」が追加されています。書店に読まれているようです(笑)。

古代ギリシャの都市国家アテネでは、衆愚政治とソフィストの出現が同期しました。プラトンの対話篇に登場する師ソクラテスは、そのソフィストたちと弁論で闘ったと言えます。 「ゴルギアス」にある通り、ソフィストとは、「真実を知らなくても、真実らしく語ることに長けている人」たちで(真実を、徳、正義に置き換えることもできます)、その技術を販売して儲けています。

ソクラテスはそのソフィストたちを公衆の面前で論破し、「真実」「正義」「徳」そのものの価値について語ります。真実なくして、「真実らしさ」もないと。この辺りが、プラトンのイデア思想の根っこがあるように思います。「ゴルギアス」には不正な手段で蓄財をして裁判を免れている人を幸福であるとするソフィストが登場します。ソクラテスは「作用反作用の法則」を用いて論破していますが、つい吹き出してしまいます。

残念ながら、ソクラテスが成功したとは言えません。裁判にかけられて「青年たちに神を冒涜する思想を広めた」罪で処刑されます。また、愛弟子の一人のアルキビアデスは、その後アテネの煽動政治家になり国を滅ぼします。

代表的ソフィスト

昨今の日本の政治状況を見ていると、民主政治が衆愚政治に堕しているようで危惧しています。特に、東京、大阪、名古屋などの都市において顕著です。しかも、評論家、経済学者、エコノミスト、アナリスト、コメンテーターと名称はいろいろですが、基本的にはソフィストたちが街角ではなくメディアの中で増殖中です。

状況は古代アテネと似ているのですが、ソクラテスが見当たりません。仕様がないので、プラトンを読んで思考力を鍛え、ソクラテスを見いだす眼力を養うことを心がけています。

10月16日(火)「ゴルギアス」を読了。ソクラテスの長広舌で締めくくられています。ペリクレスによる高度経済成長を経てアテネが腐敗し衆愚政治に堕していることを痛烈に批判する姿はプラトンその人でしょう。今の日本にも当てはまります。

11月25日(日)ようやく「プロタゴラス」を読了。徳は教えられるものだろうか、とソクラテスは当時最強のソフィストに問いかける。一人称体になっている。結末はドローのように見える。

1件のフィードバック へ “プラトンを読む”

  1. 研究室元一学生 1月 2, 2013 @ 3:20 am #

     私は、最高の道徳体系は、儒教、仏教(禅)、道教の思想を取り入れた武士道であると考えています。このことは、昨今の日本社会の世界的評価や、禅の思想に刺激を受けた人物の活躍等を見れば、実証されているものと思います。
     このあたりのギリシャ哲学については私は全くの無知ですが、ニーチェは、これらのものを、ありもしない理想(イデア)を掲げてもっともらしく議論しているとして毛嫌いしているようで、私もこれに同意します。
     人間社会の道徳は、長年(千年単位)の経験と思索に基づいて人間が定めてきたもので、いきなり最高精神のようなものを設定して、そこから演繹的に道徳を論ずるのは、単に大衆を騙して特定集団の権力を維持するための手段に過ぎないのではないでしょうか?

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