ハイデッガーと原子力

5 1月

ハイデッガーが、1955年10月、南ドイツ・メスキルヒで講演したこと

そもそも何事がわれわれの時代に起こっているのでしょうか。


この時代は近ごろ原子時代などと呼ばれだしています。

この時代の一番の特徴は原爆です。しかしこの特徴は前景に過ぎないかも知れません。というのは原子力の平和利用が叫ばれ原子力産業が巨大な企業と化す見通しもでてきたからです。

 この年の7月、18人のノーベル賞受賞者たちは科学こそは人類のより幸福な生活への道である」という共同宣言を発表しました。果たしてそうでしょうか。この人たちは原子時代の意味というものをほんとうに思索したことがあるのでしょうか。

 そもそも何によってこういう時代が生まれ出てきたのでしょうか。


それは数百年来、人間のものの考え方に根本的な変化が起こりそれによって人間がひとつの現実のなかに移し入れられたことによるものなのです。世界観の徹底的な革命が近代哲学において遂行されていきます。それにつれて世界というものに対する人間の態度はがらっと変わってしまいました。


いまや人間は計算的思考の無抵抗な対象と化し自然は近代技術と近代産業のためのエネルギー源と化するにいたったのです。

自然に対するこういう技術的な接近の仕方が始まったのは17世紀のヨーロッパにおいてです。それもヨーロッパだけにおいてなのです。


この夏ふたたびノーベル賞受賞者たちの国際会議が開かれその機会にアメリカの化学者スタンレーはこういっています。「生命が化学者の思いのままになる日が近づいてきている。化学者は生命を自由に破壊し変革することになろう」こういう言葉を前にして、人々はどうして今や技術的手段による生命と人間の本質とに対する侵略が企てられつつあるということに思いをいたさいないのでしょうか。


これに比すれば水爆の爆発も物の数ではありますまい。

なぜなら、たとえ水爆が爆発せず人間がこの地上に生命を存続するとしても原子時代の進展につれてまことに不気味な変化が地上に訪れることになるからなのです。ほんとに不気味なのは、世界が徹底的に技術化されてしまうことなのではありません。それよりもはるかに不気味なのは、世界のこういう変動をまえにしてわれわれ人間のがわにとんと準備ができていないということなのです。いったい誰が、どこの国が、こういう原子時代の歴史的進展にブレーキをかけそれを制御しうるというのでしょうか。われわれ原子時代の人間は技術の圧力の前に策もなく投げ出されているように見えます。われわれの故郷は失われ、生存の基盤はわれわれの足もとから崩れ去ってしまったのです。

そこでいまわれわれはこう問わねばならない・・・すでに基盤が失われてしまった今日、いったいどうしたら新しい大地と基盤とがもう一度われわれ人間に与えられるであろうか。この問いによって探し求められているものは多分非常に身近なところにひそんでいるのです。この身近なものに至る道は内省的な思索の道にほかなりません。これまでのように一面的に計算的思考の軌道だけを走り続けることをやめることなのです。

と申しても、技術の世界を悪魔の所産と考えるのではありません。大切なことは、われわれ人間がそれの奴隷にならないということなのです。技術世界のいろいろな事物を利用しながらもそれらにとって心をとられないということなのです。それらに対して「イエス」と語ると同時に「ノー」と語ることです。一言にして言えば、それらの事物に対して超然たる態度を持するということなのです。

註  計算的思考:”ベストミックス”

斉藤信治著『哲学初歩』東京創元社
第8章「原子時代の秘密」より抜粋したものでウェブサイト「ハイデッガーチラシ」にあったものをさらに抜粋

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