うまい、山頭火なみですな。
中国共産党に欧米流の合理思考「抑止論」は通用しません。孫子の兵法にある「己を知り敵を知る」ことから始めましょう。
まず、中国が国境紛争にどう対処して来たか、歴史を見る必要があります。例えば「一覧屋」さんのリストが参考になります。
、http://ichiranya.com/society_culture/041-territorial_issue_of_china.php
多くは未解決ですが、アムール川(黒竜江)の東側、ミャンマー北部
については、外交交渉により解決しています。
Deterrentの直訳は「恐怖による(均衡)」ですが、日本では「抑止」と意訳(誤訳?)されています。
Terrは語源的にはterrorから来ていますが、もともとがゲームの理論における用語です。多くの日本人はもとの意味を知ってか知らないでか「抑え込む」意味で使っています。
一方、中国ではほぼ直訳の「威しょう」(しょう:リッシンへんに耳3つで恐れるの意)を当てているそうです。
これでは、日中国民双方でdeterrentについての理解が違ってくると思います。
安保法制賛成の人は、「抑え込む」意味で使っていますが、中国国民には通用しないでしょう。
詳しくは
http://mizukith.blog91.fc2.com/blog-entry-1496.html
をご覧下さい。
安全保障論の標準的な解説を読むと、抑止力の3条件として
(1)反撃する軍事力を有している
(2)反撃する意志がある事
(3)相手が自分と同じくらい合理的な判断をする事
が挙げられている。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~kenj/security/archives/2005/05/post_8.html
これを日中間の抑止問題に当てはめてみよう。
[1] は米軍の能力からすると充たされているだろう。ただし、アフガン、イラクなどの経験から考えると長期的な反撃については疑問が残る
[2]については、日本側にあったとしても同盟国である米国にあるかは疑わしい。局所的かつ短期的にはあるかもしれないが
[3]中国共産党の思考形態は、日本や欧米と大きく異なる。国民が多数死んでも共産党の一党独裁が続く事を優先するだろうから。
以上から、日中間の軍事問題に「抑止論」を適用する事は空理空論になりかねない。
もともと現実の戦争とは、非合理的なもので誤謬、愚かさ、強欲などの混合物であり、ゲームの理論の適用自体が間違っている。このことは、ベトナム戦争についてのマクナマラ回顧録に生々しい。
ゲームの理論に精通していた元国防長官の痛切な反省が書かれている。必要だったのは、理論ではなく、敵対する相手との対話であったと言っている。それがあれば、不必要かつ悲惨なベトナム戦争はしなくてよかった、とも。
マクナマラ回顧録–ベトナムの悲劇と教訓 仲晃訳(共同通信社)を読み返しました。
学生時代にベトナム反戦デモに参加し立川米軍基地から日夜飛び立つ大型輸送機の爆音とともに聞いた戦争経過のニュースを思い出しました。
マクナマラが挙げた、ベトナム戦争に関する11の過ちが反省されていなく、その後のイラク戦争でくり返されました。
その中で
(1)相手方の意図を見誤った
(4)ベトナムの文化、歴史、政治に無知であった
(5)近代装備の限界の認識が不足していた
(6)軍事介入する前に議会・国民との議論することが不足していた
(8)国際問題では解決できない問題もある
の5点が21世紀の日本にとっても重要だと思います。
コメントを残す