新木のキジ
川沿いの小道を散歩する
ん?前にキジがいる
長い尾を水平に通せんぼして
こちらを見ている
少し待っても動かない
仕様がないので、そのまま家に帰った
次の日、雨上がりに家を出ると
キジはいない
稲刈りが済んで秋風が水面を渡る
帰ってくると
昨日のキジがいた
また、通せんぼして道をゆずらない
キジは向こうの空を見ている
あ、空に大きな虹がかかっている
その上に副虹もうっすら見えている
キジは、その間の暗い空間を凝視している
選者の清水哲男さんは、最後の1行を哲学的過ぎる、と見ています。アレキサンダー・ダークバンドの事なので、物理的過ぎると言ってもいいかも知れません。
私の詩はとかくフィナーレに力みがあるようです。前の「春の傘」「旗ふり叔父さん」でも同じで、清水さんに指摘されています。科学論文の”conclusion”の癖が残っているのかなあ。
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