Sapiens (サピエンス全史)を読了

7 10月

約7万年間に、東アフリカから出発したホモ・サピエンスの一部はヨーロッパで先住民のネアンデルタール人を征服した。この2つの人類の持つ身体的能力、作る道具の性能にさほどの差はないのに何故サピエンスが勝利したのか?

ハラリの仮説によれば、それは想像力であったという。目の前にあるものだけではなく、あるべきもの、あり得るものを考える力であった、というのだ。たとえば、サピエンスの遺跡からライオンの頭の人物像が出土している。想像力は、より多くの集団を

動員することを可能にする。典型例が宗教である。ネアンデルタール人たちがせいぜい10人単位で闘うのに対して、サピエンスは100あるいは1000人単位で作戦を持って戦える。

想像力の生み出したものは、宗教の他に国家、貨幣などがあり、農耕時代を経てそれが世界宗教、帝国、金融などに発展し、人類社会を拡大しつつ変貌させて行った。現代は、さらに科学や資本主義という武器を手にいれてそれらが地球規模になった。

しかし、環境への負荷など、この肥大化が個々の人間を幸福にしたか疑わしい。 たとえば、狩猟時代の食生活の内容は農耕時代よりも充実していたし、余暇もあった。ただ、農業はより多くの人口を養うことができたから、狩猟民族を数で圧倒できただけなのだ。後者が前者よりもよい生活を保証したわけではない。

人類史を「想像力」の観点から一気に見通した本である。

類人猿の研究で有名な松沢哲朗さんは、実験的研究から人間とチンパンジーの差は想像力にあると言う。人間の幼児は、人の顔の輪郭だけの絵を与えると目鼻を追加するが、チンパンジーはしない。人間には見えないけれども「あるべきもの」を考える力があるのだろう。

逆に、具体的な現実は少数の人たちの間にしか共有されず、拡大しにくいので、淘汰されて行く。戦争による死は明らかに現実であるがせいぜいその近親者と友人たちだけにそのおぞましさが共有されるだけで、時間の経過とともに消えて行く。一方、国家の独立や経済的利得の方が現実的とする逆立ちした幻想が多数を巻き込んで行く。戦争の現実感を持たない若い人たちが国家の安全保障をゲーム感覚で語り、それを「現実的」と思い込む様子を見聞きするにつけ、この本は人類の終末論ではないか、と思ってしまう。

 

 

 

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