下重暁子さんが「学鐙」(丸善)Vol.115 No2(2018夏号)p34
に書評を書いています。
「私がもんじゅの事故後、現場を目にする機会があったが、その時説明してくれた人達の国への忠誠心は、戦時中の天皇や軍への忠誠心と変わらないことに驚いた」
明治150年変わらず、軍官財額の権力を持つ者達の手に握られた日本のエネルギー政策を理路整然と述べていて
山本さんらしい明快な書きぶりです。
明治以来の富国強兵策と不即不離で推進された日本の科学技術は、戦後も継続・強化され高度成長を達成しました。このことは書かれている通りです。しかし、福島の原発事故で挫折したかどうかはなんとも言えません。国家主義者たちは逆にしぶとく反撃に出ていると思います。
それはともかく、興味ふかい挿話がいくつもあるので2つだけ紹介します。
- 初代文部大臣の森有礼は、日本語を廃止し英語に変えることを試みて、福沢諭吉などに罵倒されたことで悪名を残しています。彼はさらに、アメリカに留学する学生を前に演説をして、アメリカ夫人と結婚することを勧めています。当時の日本人の貧弱な体格では一等国を建設できないから、というのです。
仮に森有礼の考えが全部実行されたとしたら、英語を話しDNAの半分がアメリカ人である国民が日本列島に住む「強国」ができるかもしれませんが…..
- 明治初期の工部省の教育機関である工部寮は東大工学部の前身です。その初代長官の山根庸三は、長州出身で幕末に幾つかのテロ行為をはたらいています。品川にあった英国公使館焼き討ち(隊長:高杉晋作、副隊長:久坂玄瑞、実行犯:伊藤博文と山根他)と塙保己一の兄の刺殺です。その後、密航してスコットランドにわたりグラスゴーで技術を学んだそうです。Wikiでは「日本工学立国の父」とあります。
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