“Heidegger and Science” by J.J. Kockelmans 読了

22 6月

ハイデッガーと父(1961年、自宅前)

父が生前、翻訳した「存在と時間」(M.ハイデッガー著)を読んで欲しいと電話してきた。始めの5ページを読んでさっぱり分からなかった。ただ、原著が1917年上梓で、N.ボーアがコモ湖畔で量子力学の講義を始めた時であることが気になった。

しかし、ハイデッガーが「科学から影響を受けたことはない」と断言したと何かの本で読んでがっかりしたので、父にその旨電話した。父は、その言葉を文字通りに受けてはいけない、と言った。お茶目な人でよく冗談を言う人だそうだ。

定年後、ハイデッガーの現代科学に対する見方に絞って、「存在と時間」を読んでいこうと思い、本を探して表題の本に出会った。その中で、ハイデッガーは近代科学の祖をガリレオとニュートンにとっている。近代科学と古代ギリシャの科学の違いは、実験のあるなしではなく、近代科学が自然を数学に「企投」(entwurf,project)したことにある、と述べている。具体例として、ニュートンの第一法則(慣性の法則)を挙げている。「企投」はハイデッガー語で、「熟慮の後での乾坤一擲」のことである。それは、科学ではなく哲学なのだと言いたいのかもしれない。裏を言えば、「科学は考えない」(Wissenshaft dinkt nicht)で計算だけしている、という挑発的な言い方にもなる。

量子力学については言及していないので、晩年親交のあったハイゼンベルグが書いたものから見ていこうと思う。

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