10月23日(火)に行う「科学技術と安全保障」の研究会で行う私のトークの原稿をアップ致します。常日頃、政治家、評論家、メディアなどが国家の安全保障について語る議論が粗雑であることが気になっていました。(例えば、「抑止力」とは何でしょうか?「国益」とは誰の利益でしょうか?)
国家を論ずる前に、各個人は家族、近隣、地域において実践的に関与して経験値を積み上げる必要があると考えます。約7年間、科学者として我孫子の地域社会の市民と顔を合わせながら対話し、懸案についてコミットして来たことをいくつか話します。
その中で、懐かしい祖国ともいうべきものは次第に浮かび上がって来ましたが、権力と絡む「国家」の正体は「明治国家」と呼ぶのが適切な歴史的な存在でしかないように思えて来ました。
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