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詩「平日の英国式公園」が入選しました

5 9月

叙情文芸176号(秋)に入選した詩です。

平日の英国式公園

 

黄色い疫病の飛沫の漂いを

青い風が吹き飛ばしていく

木々の小枝を細かく強く震わせて

強い風が通り抜けていく

この広い一面芝生の公園に

少年サッカーチームが声をかけながら

ボールをパスしている

快晴の太陽のもと

家族連れが幾組も水筒をシートにおいて

ピクニックをしている

小さな子供たちがテントから

首を出して笑っている

空高くゴムボールが投げあげられ

ビーグル犬が走りながらくわえとり

お嬢さんの足元で尻尾を振っている

お父さんとキャッチボールをしている

男の子は取り損なったボールを追駆けていく

お年寄りたちは、ベンチに腰掛けて

日向ぼっこをしながらそれを眺めている

そこを青い風がまた通り抜けていく

三好達治の「乳母車」

1 7月

乳母車

 

母よ――

淡くかなしきもののふるなり

紫陽花(あじさい)いろのもののふるなり

はてしなき並樹のかげを

そうそうと風のふくなり

 

時はたそがれ

母よ 私の乳母車(うばぐるま)を押せ

泣きぬれる夕陽にむかって

轔轔(りんりん)と私の乳母車を押せ

 

赤い総(ふさ)のある天鵞絨(びろうど)の帽子を

つめたき額にかむらせよ

旅いそぐ鳥の列にも

季節は空を渡るなり

 

淡くかなしきもののふる

紫陽花いろのもののふる道
母よ 私は知っている

この道は遠く遠くはてしない道

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介護施設にいる母を整形外科に連れて行きました。足が痛いと言うので、車椅子に乗せて診察を待っている間に沢山話ができました。かつて、私が乳母車に乗っていた時と立場は逆転しています。

 

ルクレチウス著「物の本質について」(樋口勝彦訳、岩波青)読了

1 5月

ローマ共和制時代(前94ー55)、エピクロス派の哲学者が残した詩を散文に翻訳したもの。原子論に基づく無神論を説き、自然を観察し考察する。1417年に修道院で写本が発見され、ルネッサンスの引き金を引いた、と言う説もある。物理学者のケルビンも愛読したと言う。とにかく生き生きとして面白い。原子に色がないことの論証が気に入った。寺田寅彦に影響を与えた。

「叙情文芸」に詩が入選しました

5 3月

宝石箱

 

古い引き出しの奥

目立たないベージュの平たい箱の

蓋を開けたら

亡くなった妻の

首飾り、ブローチ、イヤリングが

入っていた

金木犀の香りにつつまれて

夕べの明かりの中にキラキラと

青白く輝いていた

小さなノートに

出会った時から愛していました、と

書いてくれてから

もう13年経った

転校生だった私が話しかけた時

頬を赤く染めた貴女

2人とも東京に進学して

また出会い、結婚した

貴女が好きだった

ショパンのノクターンを聴くと

30歳の時に一緒に歩いたパリの街角の

眩い明かりを思い出す

首飾りの鎖に沿って指先を滑らすと

貴女の頸を感じ

イヤリングに指の腹を押し付けると

柔らかい耳たぶを思い出す

あたりの暗さに気づいて

シャンデリアを点灯けると

宝石は暖かい輝きに変わった

抒情文芸に詩「新木のキジ」入選

7 12月

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 新木のキジ

川沿いの小道を散歩する

ん?前にキジがいる

長い尾を水平に通せんぼして

こちらを見ている

少し待っても動かない

仕様がないので、そのまま家に帰った

次の日、雨上がりに家を出ると

キジはいない

稲刈りが済んで秋風が水面を渡る

帰ってくると

昨日のキジがいた

また、通せんぼして道をゆずらない

キジは向こうの空を見ている

あ、空に大きな虹がかかっている

その上に副虹もうっすら見えている

キジは、その間の暗い空間を凝視している

 

選者の清水哲男さんは、最後の1行を哲学的過ぎる、と見ています。アレキサンダー・ダークバンドの事なので、物理的過ぎると言ってもいいかも知れません。

私の詩はとかくフィナーレに力みがあるようです。前の「春の傘」「旗ふり叔父さん」でも同じで、清水さんに指摘されています。科学論文の”conclusion”の癖が残っているのかなあ。

旗ふりおじさん科学者になる、もう一度

11 6月

yellow flag「抒情文芸」159号に入選しました。

旗ふりおじさん

ミヨちゃんはしっかり者の2年生

梅の花咲くパンダコースから

「おじさん、待って」と息を切らして走って来る

「今日は早いね」

「おじさん、子供のころ何になりたかった?」

「うーん」

春風が横丁を過ぎていく

「科学者かな」

「ふーん。それでどうして旗ふりおじさんになっちゃったの?」

「・・・」

隙見て旗の棒を掴んで

替わりに傘を持って、と言う

黄色い旗を高く右と左に振りながら

胸張って私の前を歩く

「実はもう・・」

春風が微かにわたる

「ストップ」とミヨちゃんが叫び

旗を横にして通せんぼ

椿のぼんぼりが続くコアラコース

三毛猫の家のところで

庭に飛び込むのはいつものこと

猫は眩い朝日に目をつぶり

だらりと下がり背伸び体操

カヨちゃんと合流し

ようやく横断歩道を渡り

透き通る青空の坂道を

後ろ向きに登りながら

「科学者になんなよ!」と手を振る

「・・・」

大きな辛夷の樹に

満開の花がそよ風に揺らぐ

そうだね、もう一度なってみるか

「おはようございます」「猫なんか関係ないや」

元気な声がして1年生6人組が

もつれ合いながらがやって来た

抒情文芸入選作

6 9月

小さな事件

赤いランドセルに黄色いカバーをつけた一年生

ちょっとお転婆のミヨちゃんは

その低音とクリクリお目めで人気もの

男の子たちと登校中、

急に群れから抜け出し、駆け出した

みな慌てて追いかけ、数人の足が絡んだ

「危ないな」と思う間もなく、

ミヨちゃんの靴が滑って、前のめりに転んだ

膝小僧を擦りむいて血が出てきた

みな心配そうに取り巻いて

ハンカチを差し出したり、しゃがんでさすっている

ミヨちゃんは立ち上がったけれど、べそをかいている

「傷口に触らないで、早く保健室に行きなさい」と言うと、

「先生に話す」と、二人が走り出す

いつも一緒にいる眼鏡の子が「頼むぜ ボクはミヨちゃんを守る」と頼もしい

でもしばらくして、ミヨちゃんたちは排水溝を覗き込み石を蹴飛ばし始めた

通りかかったおばさんが、自転車で子どもたちを追い立てて行った

翌朝、顔にも赤チンをつけたミヨちゃんが

夏風の中を一連隊率いて登校してきた

「オハヨーございます」と言いざま黄色い旗を掴んで走り去ろうとする

選者評

「こういう女の子いますね。」

春の傘

7 3月

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「抒情文芸」146号に投稿した詩「春」が入選しました。

嬉しいことに選者が好意的なコメントをしてくれ、励みになります。

今まで、短歌部門ではかなりの好成績だったのですが、詩についてはその形式に

模索が続いていました。これで一つに定まりました。

最後の行について、もう少し意外性が欲しいとのコメントについては、「やはり」と思いました。「しみ」を「メアリーポピンズ」とすることも大分考えたのですが、詩全体を総括しかねないので躊躇しておとなしく終えました。気持ちは、金子みすゞの

「見えないけれどあるんだよ」に近いのですが。

春の日の 雨上がりの

曇天に 花模様の傘が飛ぶ

勤めに出かける人々の上を

少しばかりの緑の吹き出た木々の上を

傘はしめっぽい風を含んで舞い上がる

そこにいましも郊外電車が

カーブを切りながら

小さな駅のプラットホームに入ってきた

傘は電車の屋根を楽に越え

野菜畑の上で宙返る

小さな女の子が車窓からこれを見ていた

電車が客を乗せて音をたてて動き出すと

傘も姿勢を整えてゆっくりと上昇する

大人達は新聞に夢中で気付いていない

電車が速度をあげ、子供が空を見上げると

傘は高くたかく昇り

空の中のしみのようになってしまった

この詩はだいぶ前の作ではありますが、空想ではなく写実です。ちょうど、昨日今日のような

強風が傘を舞い上げていました。絵の風景は成田線沿線をイメージしたものですが、だいぶ簡単化しています。

電車も実際は15両編成です。

りいじぇんとぱあく

15 9月

8月の末にロンドンを訪ね、家族ぐるみでお付き合いしていた

Riverseさんご夫妻と再会して、40年前留学していた頃の話しをした。

ロンドンには3、4年毎に行きリージェント公園を歩く事にしている。

美しい花園と池の水鳥、栗鼠たちには心がいやされる。

「抒情文芸」で選外佳作の詩。

さくら

17 5月

 

「叙情文芸」第143号に選外佳作として私の名前だけ載っていますが、下の詩を膨らましたものです。

https://akiobongo.files.wordpress.com

/2012/06/e695a3e3828be6a19c.pdf

に置きました。

佳作としては

短歌:

スカイツリー
見えたと叫ぶ子どもらを
常磐列車は上野に運ぶ

俳句の方は

初七日は
ツクツクボウシの
夏木立

でした。これからも投稿に励みます。